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うさぎっ子クラブの歩み

昭和50年3月 「北本市に学童保育を作る会 準備会」が発足保育所の卒園を控えていた父母約10名からはじまる。

昭和50年5月 「北本に学童保育を作る会」結成。

昭和50年6月 市長との交渉。

昭和50年7月 市より「学童保育についてのお知らせ」が出される西小にて夏季保育開始(52人)。

       8月31日まで夏季保育終了後は自宅開放や集会所にて共同保育を続ける。

昭和50年9月 市議会において「学童保育の設置に関する陳情」の提出。議会で「学童保育に関する条例」が可決。

昭和50年12月 中丸・南学童保育室開設(公立)中丸学童3名、南学童17名でスタート。

 

昭和51年4月 南学童保育室に通いきれない子どもたちの父母が自宅解放や集会所で共同保育を続ける。

       南学童には南小の他、西小、石戸小、東小の児童が通う。

昭和53年10月 「東小区に学童保育を作る会」が発足。

昭和54年4月 西学童保育室が新設(公設民営)、集会所や学校の余裕教室を活用。

昭和54年11月 「北本市学童保育連絡協議会」結成。

昭和55年 4月 東小若草子どもクラブがチサン団地内の民家を借りてスタート(7名)

昭和55年9月 学童PRパンフレットを北本市内全小学校の新一年生の父母に配布。

昭和56年       市より公立保育所の自主化の方針が出される。市の行政改革により民営化に対する反対運動展開

 

昭和57年   議会で民営化反対の請願不採用。学童保育の公設民営化決定

 

昭和58年   北本市学童保育連絡協議会(市協連)による運営スタート。指導員の一括採用、保育料の統一、勤務の統一など。

 

昭和58年4月  北小、石戸小(借家)、栄小(集会所と体育館)に学童保育室を開設。

昭和58年7月  栄小、東小に公設学童保育開設。

 

昭和62年   北小、石戸小に公設学童保育が設置。現在の場所に学童保育室が設置される。

 

平成5年4月   中丸東小に公設学童保育室開設。

 

平成10年4月 学童保育が「放課後児童健全育成事業」として法制化される。

 

平成13年    東学童保育室新設。

平成14年    栄学童保育室が学校の余裕教室に入り、新設される。

平成16年    市より指定管理制度に関する話が出される。

平成18年    中丸学童保育室が市連協に加盟する。

平成21年    大規模分割問題への取り組みを行う。

       議会にて児童数が大規模だった北・東・西学童保育室の分割が決まる。

平成23年2月   東学童保育室、北学童保育室が分割し、2保育室体制になる。

平成23年3月  西学童保育室が分割し、2保育室体制になる。

平成23年4月  特定非営利活動法人北本学童保育の会うさぎっ子クラブ設立

平成26年4月  指定管理者制度スタート。うさぎっ子クラブが北本市の11学童の運営・管理を実施。

うさぎっ子クラブの前身の学童保育協議会の記念雑誌.jpg
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